神楽坂にあった寺院の井戸水。きっと今でも使われているのだろう。
今回の震災で思ったこと。人間にとってやはり一番必要なのは『水』だということ。電気やガスはなんとか我慢もできるだろう。でも、水は生死に直結する。それをすべて管理された水道水に頼ったままでいいのだろうか・・・。
うちの宮城の叔父の家は、自家発電機を持っていて井戸もあったので避難所に行かなくて済んでいるそうだ。自家発電機は特別にしても、農家で『井戸』があるというのは大きいと思う。写真と同じような手漕ぎポンプだから当然電力も必要ない。極めてシンプルだ。
例えばこれが町内に一つずつあったとしたら。飲み水に適してないとしても、例えば濾過フィルターを備蓄していたら災害時には急場はしのげるだろう。もちろん飲むだけではなく消火にも使えるし、薪さえあれば五右衛門風呂だって入れるだろう。
もしものためにエレキを使わないモノで予防策。
60年近く前の電池も使わないアナログカメラで撮った写真を改めて見ながら、電気を使わない処世術も考える必要があるのではないかと思う。今回の震災でも「携帯が通じない」「電話が通じない」という声が圧倒的だったが、考えてみたら災害時に真っ先にやられるのは今までも電気、水道、ガスだったし、今後も同じだろう。なのに我々は情報手段をすべて電話やネットに頼ろうと加速している。
極端な話だが、もし役所や交番、駅に井戸があってそれぞれ伝書鳩を1羽ずつ飼っていたとしたら・・・。机上論かもしれないが、今後は電気が使えないことを前提とした防災対策が必要になると思のだが。
2 Comments
> PylorI さん
まず、水ですよね。水さえあればなんとかなりますよね。
水は命の源ですもんね…
何するにも水が必要ですし
電気やガスの代用は不便でも何かありますね
私の伯母夫婦も自家発電機で断水しても
水には困らなかったようです