入院していた病室の窓からの風景。入院するなんて盲腸以来約15年ぶり。東京城北の町並みが一望できる11階完全個室。もちろん風呂もトイレも付いてる。悪く言えば隔離病棟。最上階の一番端っこ。やることは一日1,500ccの点滴と眠るだけ。熱で朦朧としているので最初の三日くらいはあっという間に過ぎてしまうが、熱も38度台に落ち着くとそろそろ夢も見飽きてくる。
不思議なもので何も考えずに寝ていると、夢が過去にフラッシュバックする。最初は30代の会社員だった頃、次は20代のバイトの頃、高校時代〜中学時代と遡り、最後は小学生の頃の夢を見た。当時の同級生がたくさん登場した。名前が思い出せない友達が出てきて夢の中でもがいたりもした。
忙しくて寝れない事には馴れてるけど、何もしないで寝る事はあまり経験が無いので、路上教習の仮免よろしくさてどうしたものか。そんなことを思っていても夜になればまた眠り、昼間だってぼんやりと眼下に広がる下界を見ているだけでまた眠たくなる。自分には不眠症という言葉は存在しないようだ。退屈と思っていても気がつけばまた寝ている。
強い薬を投与されているわけでもない。出来るだけ自然治癒を促すために最小限の抗生物質で抑えているそうだ。本能的に眠る事が最大の特効薬と分かっているようだ。大げさな表現だが『禅』や『瞑想』もこの境地に近いのかもしれない。眠っているがどこか覚醒している。現実と非現実の狭間で存在はあるのに虚構な時空間。それが実は体にとってとても休まる免疫質のような気がしてきた。『精神統一』や『気を集中』というのは、実は『思考を拡散』することではないか。浮遊感ある精神構造というのは一番安定している思考の上に成り立つような気がしてくる。
東京の夕日を毎日こんなに見たのはどれくらいぶりだろう・・・。小学校の頃、日が暮れるまでどろんこになって遊び回っていた頃以来だろうか。
病気はいただけないが、何もしないで寝ているだけというのも案外人間には必要なのかもしれない。脳味噌のリフレッシュには、少しはなったかな。
Blog内キーワード検索
Categories
Archive
My Office
4 Comments
>kimiko さん
瞑想の境地かもしれませんね。現実というのは目に見えているという事だけではないということが分かったような気がします。
kimikoさんもそうかも・・。
この記事を読みながら、自分の状態が少し解りかけたきがしました。
>現実と非現実の狭間で存在はあるのに虚構な時空間。
>浮遊感ある精神構造というのは一番安定している思考の上に
成り立つような気がしてくる。
いつもこんな状態で彷徨ってる自分は、なんて不安定なんだろう‥
と思っていましたが実はそうじゃないのかも知れない気が・・(笑)
>kure さん
病院はどうかですが、たまになにも考えずに寝てるだけもいいですね。
心身ともにリフレッシュできました。
ご無事で何よりです。
ここの所、働き詰めだったようですので、神様がつかの間の休息を与えてくれたのでしょうね。