代々木公園の片隅でホームレスの集会(?)が行われていた。なにやら係の人の指導のもと皆で歌を唄っていた。
相変わらず代々木公園にもホームレスが多い。ブルーシートでテントを作りひどい輩は飯ごうまでしている。公衆便所を自分達の共同炊事場のように使い、天気のいい日は芝生に大の字で寝ている。城東地区ほどではないにしろ、公共施設を勝手に占有しているのはいかがなものかと思う。このすぐ横の道ではクルマをほんの数時間止めていただけでも罰金を取られるというのに、水もトイレも使い放題で下手すると食事の支給まで受けて・・・
確かに色々な問題を抱えている人も多いのだろう。とはいえ本当に彼らは弱者なのだろうか?ハンディーキャップを背負いながらも一生懸命働いている人は沢山いるのに、五体満足でテント小屋で生活してNPO等の保護を受けて・・・
浮浪者という言葉は差別用語らしい。なぜ差別なのだろう。浮浪はダメだがホームレスならいい。意味がよくわからない。実際かれらはテントといえども勝手に作った家(?)はあるわけで、連日サウナに泊まってるサラリーマンの方がよっぽどホームレスかもしれない。
公園内ではバンド演奏して自分を表現しようとしている若者はすぐに警察に立ち退きを強要されるのに、テント小屋はいつまでたっても撤去されない。必死に働いている者が罰金や税金を取られて、働かない者が保護を受ける。なんだか正直者が馬鹿をみる世の中はやはりおかしい。
狭い鉄柵は現代のゲットーか。
>>続きの話題『矛盾』
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8 Comments
>皆様
貴重なご意見ありがとうございます。
なるほど〜と参考になることばかりです!
日本人は、「努力」ばかりを強調しがちで、「運(luck)」についてはあまり関心を払わない傾向があります。
私たちが毎日仕事をして暖かく快適なところに住み、食事もできるのは努力よりも運の方が大きいと思っています。
この写真に写っている人の中にも、私と同じくらい人生に努力してきた人は必ずいると思います。また、開き直ってしまっている人もいると思います。
しかし、こうした人たちを十把一絡げにして「まだ努力が足りない」とペロッと平然と言える感覚こそ、現代の病理だと思っています。
音楽関係の仕事をしていますが、あなたも音楽をしたりクリエイティブな仕事をしているのならば、もう少し「コンパッション(共感力)」を持たれることを奨めます(自己満足でやっているのならば、これ以上言いません)。
皮相な知識で同じ人間を裁く連中は、ホームレス以下の人たちだと思っています。
公共施設の占有は問題だと思います。
ただ最近ホームレス支援のBIG ISSUEで
雑誌を販売して自立しようとしているホームレスの
人からこの雑誌を買って読んだことがありますが
私達が想像できないような状況からどうしようもなく
ホームレスになった人もいることがわかりました。
ホームレスの人にもホームレスじゃなく普通に生活
してる人にも頑張ってる人、頑張らない人がそれぞれ
いると思います。
はじめまして
私はNOBUさんの意見に同感です。所詮、ホームレスは現状から逃げているだけですよ。支援する団体というものも理解できません。
これキリスト教で、おにぎり等の食べ物を与えて布教活動してるんですよ。
働きたいのに働けないのと、働きたくないから働かないのとではちょっと違いますよね。
自分の意図とは別に家を失うこともあるし。
社会復帰を手助けすることが一番大事かな。
そういう気持ちになってもらえるように。
>M さん
コメントありがとうございます。
おっしゃる通りですね。多面的な見方が必要だと思います。
ただ、公共の公園内にテント村を作りトイレを占拠してしまって子供たちが近づけない状態は、弱者強者とはちょっと別問題という気はしていますが・・・。
おっしゃりたいことは良く分かります。
けれどホームレスの方々は本当に
働けるのに働かないのでしょうか?
働けない、働き口が無いそんな現実があると私は思います。
一方で、厳しい条件の下、一生懸命働いている人がいるからといって、
ホームレスの人たちを一括りにして怠け者のように言うのはおかしいと私は思います。
様々な形で社会的弱者は存在しています。
強者である管理人さんや私は、
一方からでなく、色んな角度から物事を見ていかなければならないのではないでしょうか。