写真を撮っていていつも思うことがある。なぜ「写真を撮るのだろう」と。
歌をうたう、小説を書く、踊リ手、演者になるという自己表現とは明らかに違う行為。自ら湧き出るものを表現するというより、何かを通して自分の気持ちを伝えたいという感情が、写真と言う視覚的媒体を通して現れるような気がする。
もちろん理屈で写真は撮るものではないし、理屈を伝えるものでもない。
でもそこには、語り尽くせない理屈が込められているような気がする。
ラブソングで世界を救えるか。無理だと思う。例えジョンレノンがどんなに愛を叫んでも、言葉がわからない人が理解することは不可能だ。どんな名言だって、名演説だって、言葉という弊害があるかぎり理解し合うことは無理だ。
でも、写真は万国共通。言葉や解説もいらない。たった一枚の写真が戦争を終わられることも、独裁者を失脚させることだってできる。
ペンは剣より強いとは思わないが、写真は銃器より明らかに強いと思う。
心の声が伝わる写真。永久の課題でもあり、目標でもある。
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