終戦記念日には行けなかったが、どうしてもお盆休み中に行きたく、熱が出て体調が悪い中押し切って靖国神社に参拝に行ってきた。
戦争遺族でもない連中が、平和ボケした文化人よろしく靖国否定をネットとかで発言してるのを見る度に腹立たしく嫌悪感がわく。
うちの父方の実の祖父は大東亜戦争で戦死した。詳しくは分からないが陸軍だったようだ。
靖国神社を大東亜戦争の慰霊神社と勘違いしてる連中が多いが、起源は明治維新での御霊を祀るために興されたものであり、西南戦争、日清、日露戦争の戦死者も多く祀られている。
実の祖父が陸軍だったようだと不確定な書き方をしたのは実際のところよくわからないから。
父は昭和14年生まれ。真珠湾攻撃が行なわれたときは2歳だった。父が3〜4歳の頃に祖父は戦死してしまい記憶はほとんど無いのだろう、父から祖父の話しはまったく聞いたことが無かった。
終戦は昭和20年。父は5歳の夏の日。戦死した祖父はまだ20代前半の若さだったと思われる。
祖母は幼子を抱えて再婚。終戦直後の混沌とした社会の中、田舎町の農家といえ、連れ子であった父の居場所を思うと想像は難しくない。
父は幼少の頃の話しを一切しない。少年時代なにがあったのかも知らない。きっと色々なことがあったのだと思う。実の祖父がいるという話しをきいたのもずいぶん最近になってからだった。
父は10代で実家を飛び出し東京に出てきて事業を起こし、長男にも関わらず実家の相続を一切断り、未だ距離を置いている理由がようやくわかった気がした。家族の運命おも狂わせる戦争の大きな爪痕が窺い知れる。
戦後に日本を占領したGHQは、靖国神社を焼き払いドッグレース場を建設する計画を立てていたが、当時ローマ教皇庁代表であり上智大学学長でもあったブルーノ・ビッテル神父は「いかなる国家も、その国家のために死んだ戦士に対して、敬意を払う権利と義務があると言える。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない」とし、「靖国神社を焼却する事は、連合国軍の占領政策と相容れない犯罪行為である」とまで言ったという(wikiより)。
そのビッテル神父は「靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるというなら、排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない。我々は、信仰の自由が完全に認められ、神道・仏教・キリスト教・ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである」の言葉で締め括り、焼き払いから免れられたそうだ。
実の祖父が眠り、日本建国の英霊たちが弔われている靖国に対し、中国人や朝鮮民族がとやかく言うのはお門違いも甚だしく、ましてや、それがごもっともであるというような一部の政党や国民がいることは憂国の極み以外のなにものでもない。
自分は決して右翼でもなければ君主崇拝論者でもない。只ただ、祖先を敬い国家のために命を捧げた英霊たちを静かに安らかに眠らせたい。子孫として日本人として当然の思いに過ぎない。
実の祖父はどんな男だったのだろうか?そしてどんな軍人で、どんな最後を迎えたのだろう?
いつか自分の起源でもある実の祖父の痕跡を巡ってみたい。
[ Leica M9 SUMMARON (1968) 1:2.8 / 35mm ]
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