漢文(古典)の授業で習った人も多いと思うが、韓非子の『矛盾』。「どんなモノでも貫く事が出来る矛(ほこ)」と「どんなモノでもはじき返す盾(たて)」を売っていた行商人に「ではその矛で盾を突いたらどうなる?」と問いたら返事が出来なかったという、つじつまが合わない事を『矛盾』で表している。
まさに的を得た表現で、確かに世の中は矛盾だらけだ。全知全能の神はなぜか世界には多数いるし、最強、最高といった言葉が満ちあふれているが、冷静にみれば矛と盾と同じようなもの。
昨日の浮浪者の記事にも複数の意見を頂いた。とても嬉しいことだ。真剣に考え真剣に意見を言う、これは大事な事だと思う(不用意な発言は危険だが)。しかし、ネットやブログでなにげに自分が思った気持ちを書いただけなのに、不本意な攻撃を受けた経験がある人も多い事だろう。必然的に記事にする内容はあたりさわり無い内容になって、自分の意見は影を潜め、淡々と行動の報告だけになっていく・・・。飲んだ食べたしたばかりでその人と也が見えてこないブログが多いのは少々寂しい気がする。
ただ難しいのは、物事を多面的に見ればみるほど逆説的なマトリックスに陥ることだろう。例えば浮浪者問題も「擁護すべきだ」と言ってる人も、自分の家の庭先や子供の通う学校の校庭に勝手にテント小屋が作られたら黙っていないだろう。「働かざるもの食うべからず」と言ってる人も、自分の身内や親友がそうなったら簡単に切り捨てられるか疑問だろう。立場が変われば意見も変わり、意見が変わるから矛盾が生じる。
よくテレビで政治家の討論会とかでも、なんでこいつは分からないんだ!と端から見ていても思う事が多々あるが、まったく逆の意見の人もいるわけで、意見や考えに『絶対』は存在しない。
しかも『絶対』が無い事は100も承知なのに、人は自分の考えを押し通そうとする。もちろんお互いに考えを譲り合っていたらなにも進まないので、あるときは当然必要なのだけど、この押し通しが歪みを生む原因になっている。
「人は独りならば絶対だが、二人になると亀裂が生じ、三人になると争いが生じる」
人間は矛盾の固まりで、その矛盾を考えながら語り合うのは健全で面白い事だと思う(もちろんネットの攻撃や炎上など論外だが)。
「我思う故に我あり」
いつも「なぜ?」という目だけは光らせていたいと思う。
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2 Comments
こんばんは。
先の浮浪者問題の記事や今回の矛盾の話。
ほぼ一字一句、全く同意見であります。
画一的になりがちな最近のブログ観まで同感です。
正直な話、自分自身に対しても矛盾を感じることもしばしばで
偉そうなことを言える立場ではありませんが、まあブログ位は
それを棚に置いて「自分の言葉」で書いていきたいものです。
しかしNUBUさんは文章で表現するのがとても上手い!
尊敬します。
所詮他人事のうちは他人事なんでしょうね。
ところで、164ネタを期待しているのですが何かお願いします。
MiToはちょっと期待はずれかも…