渋谷駅から公園通りを登り切り、渋谷公会堂を左に折れて渋谷税務署/法務局の並びに場違いな慰霊碑がある。丁度NHKの南口真向かいだ。渋谷の生臭い雰囲気とは異なり、小高い木々に囲まれたその慰霊碑像はどこか憂い悲しんでいるように見える。
二・二六事件を知らない人はいないと思う。昭和11年(1936)皇道派の青年将校が1500人弱の将兵と共に起こした軍事クーデター。首相官邸、大蔵大臣、内大臣等を襲撃し、警視庁、陸軍省、参謀本部を次々に占拠。霞が関から三宅坂周辺一帯は決起隊により一瞬のうちに制圧された。しかし「奉勅命令」により投降を命じられ、二日後の29日には戒厳令司令部により鎮圧さた。
事件の概要はドラマや映画でも度々上演されているので、おおよその内容は誰でも知っていることだろう。昭和維新とも言われるこの軍事クーデター、尊皇攘夷な皇道派が起こした事件であったが、皮肉なことに鎮圧を強く求めたのは他ならぬ天皇であった。
投降後、すぐに陸軍軍法会議が開かれ、7月初旬に首謀者17人が叛乱軍として死刑判決。そして、うち15人が陸軍衛戍刑務所で7月12日に銃殺刑が執行された。決行の中心人物であった磯部、村中はその後の裁判のために処刑を延期させられていたが、理論上の指導者でもあった民間人2名を含め、8月19日に4人は銃殺刑となった。
その死刑執行場所が他ならぬここなのだ。しかし、そんなことは知らないで、渋谷に遊びに来ている人も多いと思う。銃殺刑の死刑者19人、鎮圧時の自決者2人、1935年に軍務局長を斬殺した皇道派の相沢の22人の慰霊碑であることは目立って告知されていない。ただ、ひっそりと「二・二六事件慰霊碑」と書かれているだけだ。
テロルの結果として銃殺された兵士の思いはどんなものだったのだろうかと、COCOAと散歩しながら思った。テロリストと義勇の士の違いは何だろうか。宇田川町に流れた将校の血は、今の渋谷をそして日本をどんな目で見ているのだろうか。
慰霊塔の横で地べたに座りながらハンバーガーを食べてる小僧を見ながら、銃殺刑が行われた日も今日のように暑かったんだろうな、とふと思った。
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