ミニチュアダックスのCOCOAと散歩をしていたら、小さな女の子に声を掛けられた。
「どこ行くの?」
「犬の散歩だよ」
「カワイイ犬。どこまで行くの?」
「あっちの方だよ」
「一緒に行ってもいい?」
「いいけど、家に帰らなくていいのか」
「だいじょうぶ」
しばらくその女の子と一緒に歩いていた。歳を聞くと小学校一年生だった。
「もう遅い時間だし、帰った方がいいんじゃない?」
「だいじょうぶ。家にはだれもいないから」
「ママは?」
「お仕事」
「パパは?」
「いない」
「・・?」
「離婚したの」
「そっか」
「マリちゃんね、離婚って言っても分からなかったの」
「マリちゃんって同じクラスの子かい?」
「そう、お隣の席なの」
「そっか」
友達の話や、学校の先生の話や、色々聞かされる。
「もう帰った方がいいんじゃないか」
「だいじょうぶ、お見送りしてあげる」
「ここで大丈夫だよ」
「じゃ、あそこの信号までいっしょに行ってあげる」
信号まで行く間、お絵描きの紙や、お人形や、クラスの友達の話をいっぱい聞かされた。
きっとこの子の父親は俺くらいの歳だったんだろうな。
屈託無く話す笑顔にもどこか寂しい影が見えるのは思い込みだろうか。
交差点で信号待ちしてる間も、これ持ってて、あれカバンの中にいれて、この紙しまって、とか。
甘えたいんだろうなぁ。
「じゃ、気をつけて帰りなよ」
「だいじょうぶ。バイバイ!」
「じゃあな、バイバイ」
いつまでも手を振っている子供の姿に、胸がちょっと痛くなった。
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5 Comments
>ともち さん
う〜ん、さすがに私は『おじさん』って自分のことを呼びました。
でも、子供が大人を警戒したら、だれを信じていいのか分からなくなりますよね。
是非、遊んであげてください。そうそう、私もこんな経験がありました。
http://blog.so-net.ne.jp/tomopanda/2006-08-07-3
子供を鍵っ子にさせるのはかわいそうだよね。同情なんていらないだろうけど、昔なら近所のオバさんオジさんが面倒見たのに、最近じゃ子供に声かけると犯罪者に疑われる嫌な世の中。
子供に必要なのは、両親の愛情も当然だろうけど、ご近所や町内会の暖かい大人の目だと思うんだよね。離婚はしょうがないとしても、街全体が冷たくなってる方が深刻な気がする。
最近は小学校でも「知らない人に声をかけられたら逃げなさい」と教えてるらしい。これってどうなのかなぁ。この女の子を見ていて、このまま真っ直ぐに育ってほしいと思った。
また会えたら遊んであげよう。
お父さんの姿と被ったのかもしれないですね、NOBUさん。
そうやって甘えられる存在が、いつも近くにいるわけじゃないことを感じさせますね・・・。
離婚って、結局子どもは大人の都合で育てられることになって、一番感受性が強い時に寂しい思いをするんですね。
家に帰るのも寂しいんだろうな・・・。また一緒に遊んであげられたらいいですね☆
きっとNOBUさんのことがパパに見えたんでしょうね。
離婚をするのは大人の勝手ですが、一番影響を受けるのは子どもだということを理解してほしいです。もちろんその子のお母さんも生きていくために働かないといけないのでしょうが、子どもの日常の話を聞いてあげるくらいの余裕は持っていてほしいですね。