通夜に行ってきた。不思議な感覚だ。勝手知ったる知人が花に囲まれた祭壇のなかで笑ってる写真に対面するというのは、分かっていても理解しずらい場面であり、受け入れがたいにも関わらず現実を直面させられる。人は生を受けた瞬間に『死』というもう一枚のカードも知らずうちに受け取っている。いや、知らないのではなく目を背けているだけなのかもしれない。生きているというのは実は死というものを避ける為の努力なのではないかと、ひねくれた考えが湧いたりする。
実はこの歳になっても、葬儀というものに出席した回数は驚くほど少ない。葬儀といってもほとんどが二次的関係や三次的関係であって、直接の友人や知人というはほとんどない。だから通夜に行っても、いまだ信じられないというか、不謹慎だがどっきりカメラのような気がしてならない。悲しさがわかない。今でも棺桶から、なんちゃってって出てきてくれそうな気がするから。
故人の性格からして悲しむ事は似合わないだろう。いや、悲しんだりしたら、逆に故人が悲しむだろう。ここは笑って見送るのが礼儀だ。
通夜では通夜ぶるまいがでる。故人の思い出を語り合い、故人を見送る宴でもある。通夜ぶるまいは遠慮してはいけない。逆に遠慮は遺族、故人に対して失礼にあたる。仁義と礼儀をもってすれば通夜ぶるまいは少なくとも30〜40分は受けるべきであって、勧められるのに断るのは無礼だ。
なぜそんな話をするのかといえば、故人は総務出身でもあり、冠婚葬祭には特に口うるさかった。自分も会社関係で葬儀があると故人から香典の書き方や、弔電の打ち方などよく指導された。
そんな人の葬儀である。儀は通さなくてはならない。でも、その人がいた会社の連中(自分にとっても同僚だったのだけど)が、変に気を使って通夜ぶるまいにも箸をつけず遠慮して帰ってしまうのを見て、そっちの方が悲しくなった。
遠慮するのがすべてにおいて正しいのではない。作法が分からなければ調べてから望むべきだ。遠慮が無礼になるという事も知っておいた方がいい。
な〜んてことを故人はいつも怒っていたなぁ。きっと今日も「俺の言った事きいちゃいねぇ」ってこっちを見てるんだろうな。
Blog内キーワード検索
Categories
Archive
My Office
5 Comments
香典の書き方と香典相場
香典には書き方あり、金額にも相場があります。香典袋の書き方(表書き)などのマナーを守って香典を出すことで故人に失礼のないようにしたいものです。
>珠蘭 さん
慣習は難しいですよね。地方によっていろいろあるし。
とはいえ、それもいい訳にならないから、迷うより訊くに限る(笑)
よきお手本の方がいなくなったのは寂しい限りですが、自分が教わった事は、今度は誰かに教えてあげようと思ってます。
私もまだ葬儀にでることは少ないです。
でも仕事の関係上(前の職場では組合の補佐やいろんな会計の係をやったので)職場の代表で葬儀に出ることがあったりして、やっぱり地元のしきたりだとか宗派によってやり方の違いなど知らないので、先輩方のおばちゃんたちや親に聞いて、失礼だけはないように気を付けてきました。
結構礼儀って難しいですよね。
仕事柄、企業に(個人宅も)訪問することが多いので、完璧にしようとは思わないけど、最低限恥ずかしくないようにということには気を使ってるつもりです。
そんな礼儀をきっちり教えてくださる方がいたなんて、うらやましいです。
御冥福をお祈り申し上げます。
>ともち さん
お気遣いありがとうございます。
仕事が落ち着いたらハーレーでアメリカ横断でもしようと話していたのに、夢が実現できず残念です。でもきっと黄泉の国でハーレーよりかっちょいい乗り物の教習でも今頃かよってる事でしょう。
お疲れ様でした(無作法だったらごめんなさい)。
NOBUさんに送ってもらって故人もさぞかしお喜びのことでしょう。
でも、自分の指導者的存在の方が亡くなってしまうと、とっても寂しいですよね。
ご冥福をお祈りいたします。