フルチンで申し訳ない。ようやく2000年に行ったローマのポジが全てスキャンできた。懐かしい想い出にひたりながら、あることに気がついた。自分で撮った写真なのに、何故か自分で感動してる。つまり写真を撮りたい、写真に残しておきたいという情熱(とまで言ったら大袈裟だけど)がポジには色濃く残されていたのだ。写真を楽しんで撮っている感動が、カットに残っている(他の人が見ても解らないだろうけど)。
たった7年前だけど実に初々しい自分が写真の向こうに見えたのだ。ライカを買ってアナログ写真を数本撮って、昔のポジを見返していて、写真に対する自分の考え方に少し変化が出て来た。風呂に入りながらも写真っていったいなんだろうと考えもした。なぜ人間は写真を撮るのか。そんな哲学的テーマも考えたりした。
今度時間のある時に自分が感じたカメラ、写真論を記したいと思う。
まあ、難しい話は後にして、ローマ案内でも。
古代ローマの競技場コロッセオ(Colosseo)。センターを走る橋の下が映画グラディエーターで同じみの「処刑される」人の出番待ちの牢獄だ。キリスト教弾圧の頃はここでキリスト教徒の公開処刑も行われたらしい。聖地バチカンがすぐ近くというのも、なんとも歴史の重みを感じる。朝方でちょっとガスがかかっていて神秘的だった。
安っぽい観光ガイドに使ってもらえそうな絵に描いたようなカット。でも観光馬車といい太っちょのオヤジといい、結構いいスナップでしょ(笑)
すっかり晴れ清々しい青空が。古代ローマの中心街フォロロマーノ(Foro Romano)。行った時が映画が公開された年とあって、どこに行っても色々な国の人が馬鹿の一つ覚えのように『グラディエーター』『グラディエーター』と言っているのが面白かった。もちろん我々も同じように「ここがグラディエーター映画の場所だよ」と大声で日本語で話していたけど。
やはりフィルムカメラの28mm広角はいいな。遠慮無しにばちっと撮れる。デジカメを使い出して、なぜか忘れていた撮り方。なぜだろう?デジカメって撮った瞬間に結果が見れるから、どこかこじんまりとした無難な絵になっていたような気がする。まあ被写体が良ければどんな撮り方しても絵にはなるんだろうけど。NikonD50で撮った写真を見返してみると、綺麗だけど破綻が無いというか面白みが無い。単に記録写真のような気がするのは何故か。
ローマ案内の続きはまた明日。
2 Comments
>サンセリテ さん
呼ぶものがありますか(笑)
是非イタリアに行ってくださいね。大袈裟ではなく人生変わりますよ。
特にイタ車に乗ってるんだった尚更です。
私が行ったのは3回ですが、まだまだ行き足りてないほど見所満載の国です。
私はまだイタリアに行った事がないのですが、
イタリアの風景は、どこか懐かしさを感じます。
NOBUさんの写真を拝見して、ますます
行きたい度が高くなりました(^-^)b
次回も楽しみにしています♪