音楽というのは不思議なもので、その楽曲を聴くことによってアーティストの生い立ちや、その曲が生まれた歴史的背景にも興味が沸き、ついつい色々なことを調べて自分が知らない世界を旅してしまう。
日本語で『音楽』とは言葉の通り『音を楽しむもの』だが、西洋で言うところの『music』はギリシャ神話の『ムーサ (Musa)』が語源になる。文芸を司る9人の女神を称して英語読みでは『ミューズ (Muse)』となり、それが『music』になったそうだ。つまり音楽は楽しむだけでなく、神が奏でる神聖なものとして認識されているのだろう。ゴスペルやミサ曲が生まれた背景をそう考えると分かりやすい。
他の宗教に比べて仏教音楽が一般的でない理由は、仏教には音楽神が存在せず且つ教えが、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静、という無を紀元としているからではないか。だから仏教圏の人々は音楽は神から与えられものではなく楽しむものとして認知されてきたのではないだろうか。
そんな仮定を考えながらビリー・ホリデイ (Billie Holiday)の『Strange Fruit (奇妙な果実)』を聴く。
歌詞の内容はこうだ。「南部の木には奇妙な果実がなる。葉には血が、根にも血を滴たらせ、南部の風に揺らいでいる黒い死体。ポプラの木に吊るされている奇妙な果実・・」
映像はたぶん50年代のものと思うけど、この曲が生まれたのは1930年。二人の黒人が虐殺されている場面の写真を見たユダヤ人牧師が衝撃を受け詩にしたもの。当時は黒人のリンチは日常的であり、歌詞の中の『奇妙の果実』とは殺された黒人のことを指している。ビリーが持ち歌のしたのは1939年かららしい。
写真を見て驚くのは、首を吊るされた黒人を見ている白人たちの表情だ。あまりにも平然とまるで見せ物を観ているような振る舞い。日本ではちょうど昭和初頭。もし日本で同じようなことが起こったら天地がひっくり返るほどの大騒ぎになっただろう。
ビリー・ホリデイは黒人だ。黒人が平気でリンチに合う時代に、ステージの締めくくりにこの曲をいつも歌っていたそうだ。1939年といえばナチスがポーランドに侵攻した年。世界が第二次世界大戦に飲まれていくなか、民主主義を旗印にしていたアメリカが抱えていた人種差別問題。黒人の公民権運動が起こるはるか昔、この曲を歌い続けたビリー・ホリデイという人間に強力なソウル(魂)を感じる。
10歳で強姦され14歳で娼婦になり、禁酒法時代のハーレムで非合法のナイトクラブで15歳で歌手になり、コカインやヘロイン中毒で投獄されながらも歌い続け、数度の結婚やレズビアンとの肉体関係を続け、腕は注射器の痕で覆われながら1959年、肝硬変で44歳の若さで病床で死亡・・・。
人種差別と性差別に戦いながら、廃退的で壮絶な人生を歩んできたビリー・ホリデイという女性にROCKを感じる。もちろんまだROCKが生まれる前の時代だが、きっと長生きしていたらROCKでPUNKな生き方をしていたに違いないと思う。
一つの歌を聴くことによって、病んだアメリカの歴史を知り、人種問題を知り、アフリカ系アメリカ人の生き様を知る。musicって奥が深い。
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