結局昨日はYouTubeで沢村忠の試合だのヒストリーだの観まくって、気持ちが昂ったまま寝てしまった。
沢村忠を知っているだろうか。40代後半ならきっと記憶に残っているだろう伝説の格闘家。日本で最初のキックボクサーであり、誰もが成し遂げた事の無い永遠のチャンピオン。正に伝説の王者だ。
子供の頃『キックの鬼』のアニメに影響され、遊びでも必殺技は「真空飛び膝蹴り」だった。おりしも時代は闘魂格闘ブーム。『タイガーマスク』『あしたのジョー』『巨人の星』・・・そしてこの『キックの鬼』(ちなみに原作はすべて梶原一騎)
なにより凄まじかったのは、他の漫画が架空の主人公であるのに対して、『キックの鬼』は現役選手沢村忠そのものの伝記的漫画であり、テレビアニメでは自らが主題歌を歌うという、もうなんでもありの設定だった。
もちろん子供にはそんなことはどうでもよく、痛快に外人を蹴り倒す姿に憧れテレビに釘付けになった。
当時、子供たちの必殺技はとにかく『キック』だった。後に『仮面ライダー』が「ライダーキック」を生み出すのも、時代背景からしてしごく当然の結果だった。ブルースリーのハイジャンプに憧れ、ガキの頃の喧嘩は当然ながらキックを制するのがその場を制した。
そんな子供たちの憧れが沢村忠だった。大人たちが王や長島に歓喜してる頃、野球がわからない誰もが倒せば勝ちというシンプルなルールにのめり込んだ。一対一というルールも日本人的だ。
決して恰好いいわけでも強そうにも見えない角刈りのヒゲの日本人。そんな柔そうに見える日本人の鍛え抜かれた鋼のような肉体、筋肉の動きに理屈も無く憧れた。まさに『必殺』というファイトに子供心に震えた。
突然の失踪に引退。廃人になったというデマをずっと信じていたら、実は違っていたという現実に今更ながら驚く・・・。
空手家だった沢村がなぜキックボクシングの世界に入って行ったのか。不屈の精神と己に課した克己心、今の日本人の多くが忘れてしまったかもしれないテーマに果敢にチャレンジした勇姿に、今更ながら尊敬と憧憬の念を禁じ得ない。
話しは脱線するけど、昔の写真にはそういった多くのストイックな戦士の姿が収められていた。多くの写真賞でもボクサーの名シーンが数多く残されている。モハメド・アリなど最たるものだろう。
しかし、最近はどうだろう。こと日本に関しては賞と名の付くもので格闘シーンが表舞台に立った記憶が無い。血反吐が映る叙情写真が流行らないのはよくわかるが、格闘写真のレベルの低さはいかがなものかと憂う。
自分も偉そうな事が言えた義理ではないけど、格闘家、特にボクサーの一生をいつかは撮ってみたいな。
こんな時だからこその沢村再考。有意義な時間だったと思う。
[ Leica M9 SUMMARON (1957) 1:3.5 / 35mm ]
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