セクハラやじ騒動で感じたこと。
大方の予想通りの幕引きで、なんとも後味の悪い今回のやじ問題。渦中の鈴木章浩都議は『都議会再生』などという上から目線甚だしい会派を平気で設立し、人格そのものの崩壊を自ら露呈し恥の上塗りを重ねているが、報道機関の論調が女性蔑視・男尊女卑に終始していることに違和感を感じる。
セクハラやじはまさに女性蔑視で1mmの異論も無いが、本当の問題は各議員の人としての品格のありかただと思う。
犯人と噂されていた自民党の別な議員は自身のHPで『この様な下劣な「やじ」は人間としても、39歳の未婚の娘を持つ身としても、断じて許す事は出来ません』と身の潔白をアピールしていたが、『断じて許す事は出来ない』ほどの発言と思っているのならば、なぜその場で『ちょっと言い過ぎだろう』と諌めなかったのか。同じ会派の人間が発した言葉なのだから、年長者として正すことはできたはず。
また、みんなの党も問題だ。会派は4人。塩村都議が壇上にいたのでたった3人ではあるが、なぜそのようなヤジが飛んだ瞬間『今言ったのは誰だ!撤回しろ!』と叫ばなかったのか。なぜ議長に撤回要請を求めて詰め寄らなかったのか。
そう見ると子供のいじめと同じ。鈴木章浩という者にとって罵声を発する単語は本当はなんでも良かったのだと思う。嫌がらせとは相手が嫌がることをすること。だからピンポイントで『結婚』という単語を発したのだろう。当然その時は世の女性、そして多くの男性までも敵に回すとは思ってなかっただろう。『お前の母さんデベソ』とでも言った方がまだ馬鹿の烙印を押されただけで済んだかもしれない。
いじめっ子と仲良しの連中は悪いことだと思いつつも、いじめられる方に問題があると正当化する。いじめられてる方の仲良しも助けに行く勇気なんかもってない。で、学校が終わって親に言いつけて問題になると、いじめられっこの仲良しはそうだそうだと勢い、いじめっ子と仲良しの連中はあっさり仲間を見捨てる。
ガキと同じだ。
『断じて許す事は出来ません』などと書く暇があれば,本当に自分が言ってなくとも『後輩指導ができず申し訳ありません』と陳謝するのが同じ会派の者として大人の対応だろう。また、その場で塩村都議を救出できなかった3人のみんなの党の連中は弱虫根性を恥じるべきと思う。
本来であればこんな話はその場で大問題になるべき話で、議会が炎上してもいいはずだ。マスコミが取り上げことが大きくなったから議会が動くというのではあまりにもお粗末で、1,335万人の都民の代表としては幼稚すぎる。
自分のこととして反省しない人。仲間がいじめられてもその場で助けない人。血税を払う身としては、こんな人たちの給料になっているのかと思うと情けない。
[ Leica M9 SUMMICRON-M (2007) 1:2 / 35mm ASP ]
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