先日、閉校する小学校のロケハンで石巻に行ってきた。その学校は北上川からも離れていたため津波の影響は全く無かったが、残念ながら壊滅的な被害を受けた近隣の小学校も多くあった。
ロケハン終了後、どうしても寄ってみたい学校があった。児童74人、教職員10名、スクールバス運転手1名の尊い命が犠牲となった『石巻市立大川小学校』
震災以降自分になにができるのか自問することが多い。デザイナーとしてボランティアにも参加した。ホームページを作ったり、クルマ関係の著名人の寄せ書きを本にしたり、多くではないができる範囲で色々とやってみた。
でもいつもしっくりこなかった。どうにも単なるマスターベーションに付き合わされてるような居心地の悪さ。それはきっと支援される人の顔が全く見えないもどかしさから来るものだったと思う。机上論でボランティアや支援を語ったところで、本当の意味での支援にはならないような気がずっとしていた。支援ってなんだろう?
津波以前のこの学校の姿は知らない。でもそこには4年間止まったままの現実があった。そう、現実が。
この学校を残すか壊すかで地元で議論になっているそうだ。どんな結論になるにせよ、どの意見も正解だろうし、反対意見もまた正解なんだろう。
ただ、この地に立って破壊尽くされた教室を見ていたら、今まで悩んでいたことから少しだけ開放され心の整理がついたような気がした。伝聞系のどんな言葉も、現実の痕跡に勝るものはない。鎮魂はもちろん、我々が進むべき道しるべとしても校舎は残してくれるといいな。記憶を風化させないためにも。
「世界が全体に幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない・・・」
残った壁面に描かれた言葉が、締め付けられるように心に重く感じた。
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