事務所のプランターで孵化した黒アゲハの幼虫。次々に鳥に襲われついに最後の一匹も行方知らずになってしまった・・・・。これも自然界の掟。哀れみは無用だろう。しかし、ちと寂しい。どこかに迷子になっていないかと探していたら、別な赤ん坊を見つけた。まだ全長2mmにも満たない。蟻ん子より小さい。また新たな生命の誕生だ。
生きるということは多くの犠牲の上に成り立っていると思う。芋虫は鳥の餌になり、その鳥はさらに大型の鳥の餌になり、その鳥は哺乳類の餌になり、さらに大型の哺乳類が食らう。そのピラミッドの頂点にいるのが人間。我々はどれだけの生き物を食っているのだろう・・・
たぶんこいつらの誰かが幼虫を持っていったんだろう。と言っても鳥に罪はない。鳥もヒナを育てなければならない。
生きるためには何かを殺して食わなければならない。それは自然なことで生命活動を続けるというのは多くの「死」を踏み台にしている。動物保護団体を擁護するわけでも、菜食主義を推進するわけでもないけど、おいしい食べ物を「食べる」という行為は殺生の上に成り立ってるということを、忘れちゃいけないと思う。だから平気で食べ物を残す人間は嫌い。特に肉や魚を残す人間は最低だ。食われるために死んでいった生き物に感謝しなきゃ罰が当たる。「いただきます」もちゃんと言えない大人が多いのは嘆かわしいことだと思う。
鳥の餌箱とハッサクの苗木があまりにも近いので別な場所に移そうと思う。この苗木も食べ終わった種を植えておいたら芽が出たもの。自然の営みって凄いよね。
4 Comments
「虫」って思うと気落ち悪いのも多いけど、頑張って生きている姿をみると、こっちも負けてられないなって思います。
虫から勇気をもらってどうすんだって感じですが、食われちゃう恐怖も無くのほほんと生きてる自分が、ちょっと恥ずかしくなったり・・・。
前世が虫じゃなくて、前世が人間の虫はこっちをどう思って見てるのかなぁ。
本当、自然の営みってすごい。。。
NOBUさん、ありがとうございます。
見つけていただけたんですね!
早速、長男に見せました。
「わかった!これが進化する前の幼虫か!」と、言っておりました。
幼稚園で見つけたら、お持ち帰りするそうです・・・
先日も、「ママ~ァ、アゲハの幼虫見つけたよ!」と言って駆け寄ったは、いいものの・・・大きさがぜんぜん違う、何かの幼虫でした・・・でも、「アゲハだよ!」と言い張ってました。
頑張れ、幼虫!!
なんだか、食べ物を無駄に食べてはいけないですね・・・。