ドラムの脱退を受けて誰がドラムをやってくれる人はいないか考えてみる。・・・・・・・・いない。
というか、そもそもMOoCOとは別にハードロックのバンドををやろうとドラムを既に探していて、そっちもまだ見つかっていないのに、オヤジバンドに入ってくれるドラムとなるとさらにハードルが高くなる・・・。さて、どうするか。
ハードロックバンドでドラムを探している時に、ある20代の初心者ドラマーに近々ライブがあるんで助っ人で叩いてくれない、と訊いてみたら「コピーは出来ないしやりたくない。オリジナルやりたいので」「・・・・・?!」初心者でまだコピーも出来ないのにオリジナルがやりたいの?
オリジナルをやりたいという気持ちはよくわかるけど、基礎も知識もまったく無く、いきなりオリジナルって・・・。もちろん楽器が出来なくったて曲は作れるし、実際プロになってから楽器を覚えたってミュージシャンもいるけど、それはよほどの才能かセンスがいい人間であって、色々な曲をコピーするというのはとても大切な事なのよ。
最近思うに、なんでも”修業期間が嫌い”というか”いきなり本番”願望という子が多い。甥っ子を見ていても、例えばテレビゲーム。やりたければ買う。買ったらいきなり自分専用。何時間でも何度でも自分の好き放題でできる。これって駄目でしょ。
昔はインベーダーゲームなんて順番待ちで何時間も待たされることがよくあった。上手い人間がやりだすと何十分も終わらない。終わるまでイライラしながらじっと待つ。ようやく自分の番がくる。でもあっという間に終わってしまう。また列の最後に並ばなければならない。凄く悔しい。上手いやつはどうして上手いのかテクニックを盗もうと必死に観察する。そして技を盗むことを学んだ。そして失費という痛手を伴って。
ところが最近の子供達が遊んでいるのを見ていると、とにかく待つことが出来ない。片方が長くやってるとイライラしてコントローラーを奪ったり電源切ったりする。技を盗むもへったくれもない。自分が主役でないと気に入らない。下手でも自分がやってれば大満足。相手が上手くても凄いと思わない。自分より上手いのはイラつくだけ。(という大人も増えてる)
悔しい思いをしながらじっと待つということが出来なくなったのは、きっとテレビゲームが原因だと思うけど、それ以上に大人が子供より弱くなったからじゃないか。テレビゲームで子供をぎゃふんと言わせられる大人ってどれだけいるだろう。
子供の頃、囲碁や将棋は絶対に大人には勝てなかった。メンコだって大人は強かった。ベーゴマなんて恐ろしいスピードで回転していた。自転車を手放しで乗ってる大人を見て憧れた。キャッチボールだって手のひらが砕けるほど豪速球だった。親や大人は超えられないほど凄い存在だった。
それが、いつのまにか子供に馬鹿にされる存在になっている。子供をおだてるためにわざと負けたりしてる大人がいるけど、あれは絶対によくない。立ち直れないほど痛めつけて大人の威厳を示さなければいけない(といっても甥っ子にテレビゲームでは勝てないので、挟み将棋でギャフンと言わせる)。泣き出すまで徹底的に負かす。大人げないのではなく、子供に負けてはならないのが大人なのだ。
修行なんて言葉は流行らないのかもしれないけど、「コピーは出来ないけどオリジナル」と言い切る若者とはとても一緒に音楽はできないな。
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