昭和世代にとって忘れられないギャグはなにかと問われれば『マカロニほうれんそう』と『がきデカ』を挙げる人は多いと思う。特にがきデカの「死刑!」の決め台詞はたぶん死ぬまで忘れられない永遠のメッセージだと思う。
今日、ニュースを観ていて腰が抜けた。悲惨なニュースや残忍なニュースに鈍感になっているとはいえ、今日ほど驚いたことはない。そのニュースとは・・・・
『東京都江東区のマンションに住んでいた女性を殺害し、遺体を切断してトイレなどに捨てたとして、殺人やわいせつ目的略取、死体損壊などの罪に問われた島貴徳の判決』
このニュースを見たとき誰もが震撼したと思う。同じマンションに住む人間が犯人であり、殺害後も平然とTV局のインタビューに答えてる姿を見て、安全というのはどこにあるのかと思った人も多いと思う。当然がきデカじゃなくても『死刑!』だと思っていたし、これほど鬼畜的な事件はないと思っていた。
ところが、今日の判決結果である。
『殺害行為は冷酷ではあるが、残虐極まりないとまでは言えない』
東京地裁の平出喜一裁判長はこう下した。『遺体を細かく切断して、肉片や骨片をトイレに流したり、近くのごみ置き場に捨てた』行為を「残虐極まりないとまでは言えない」と下している。死刑か無期懲役かは別問題として、この裁判官、これだけの行為を本当に残虐でないと思っているのだろうか。嘘ではなく本当に椅子から転げ落ちた。
今まで生きてきて学んで来た『道徳』と『良心』と『人の道』というものにおいて、こんなことは誰が観ても残虐な行為と思っていた。それを残虐と思えないという裁判官が、司法を司っている長ということに、恐ろしい程の恐怖心と道徳心の崩壊を感じる。
法律というのはなんの為に、誰のためにあるのだろう・・・・。加害者島本人も死刑を望んでいる。なのに司法は『残虐』ではないという。正直こんな不条理な世の中は嫌だと思った。
裁判官制度に反対する意見も多いが、ここまで酷い殺人事件を残虐と思わない裁判官がいるのなら、喜んで自分が裁判員に立候補したいと思う。人を切り刻んでトイレに捨てる行為を残虐と思わない平出喜一裁判長に真っ向から異議を唱えられる場が欲しい。果たしてもっと残忍な行為ってあるのだろうか???
もし自分の身の回りの人が被害者だったら・・・・・。『残虐じゃないから』と言われたら・・・・・。被害者とは面識もないけど震えが止まらない程の怒りを感じた。そう、まさに『怒り』だ。
この裁判にとって本当の残虐な行為って、それは被害者の遺族に対する平出喜一裁判長の判決理由ではないか。
少なくとも自分の身内が殺されトイレに流されるようなことにあったら、司法の判決は関係なしに、絶対に犯人は許さないとないと思う。ミッキー・スピレインじゃないが『裁くのは俺だ』
この裁判にぜひ、こまわり君にも出てもらいたかった・・・。
5 Comments
>ねずみ さん
何か違う、と感じるのは間違いではないですよね。
>中原 さん
単純に結果だけでなく、おっしゃる通り過程がどうかも大きいと思います。一人『しか』殺してないから無期懲役、二人殺したら死刑、って価値判断が理解出来ません。
>jon_bovi さん
確かに。自分も間違いなく感情論に流されるでしょうね・・・・
なんと言っても『仇討ち法』復活論者ですから。
だからハガキが届かなかったのか・・・
>親知らず さん
遺族への損心賠償というのでしょうか、犯人には情状という言葉がよく使われますが、遺族に対してはどうなんでしょう。
悲しくなります・・・
まったく同感です!
人のやる事ではないと思います。
遺族の気持ちはどこに持って行ったら良いんでしょうか?
逆に、なぜ今になって裁判員制度なのか?
という疑問を改めて思いました。
果たして情に左右されやすい日本人に、可能なのかな・・・と。
こまわり君になれるのかな?と。
日本の刑法は明らかにおかしい。
殺人と死体損壊を、それぞれ別の罪として裁かなければならないなんて…。
あまりにも理不尽過ぎる。この国は病んでいます。
何も非がない被害者が、ある日突然拉致監禁され、無惨に殺害されるまでに
感じた恐怖と苦痛だけでも、被告の罪は十分極刑に値すると僕は考えます。
ほんとうにやりきれません。
全く同感です。私も子を持つ親として腹が立ちました。世の中何もかも壊れましたね。