昨日はAlfa164 OWNERS CLUBの蓼科での集まりに退役後久々に参加してきた。久々・・・10年振り。それも164がガソリンぶちまけの入院中のためRZで・・・。
1992年の夏だったと思う。生麦のキリンビールの工場で、たまたま164QVを見かけそのオーナーに話しかけたのが始まりだった。まだネットも携帯電話も一般的に普及していない時代。今にして思えばどうしてメンバーが集まったか不思議なくらいだが、半年も経たないうちに数十人の仲間が集まり、クラブ結成へと動き出した。そして1993年クラブ結成。雑誌に募集告知をだしたり、駐車場でスカウトしたり・・・
毎日が楽しかった。連絡はほとんど郵送かFAX。今から比較すれば面倒で手間が掛かったけど、だからこそ良かった面も多かった。当時はまだ会社勤めだったけど、ほとんどクラブの内職(?)していたような気がする。まだ個人用のパソコンも無かった時代だし、会報誌を作るのも会社の『ワープロ』でチマチマ残業時間に編集していた。夜中まで掛かってようやく作った会報誌を郵送するのは、どこか恥ずかしくもありワクワクするイベントでもあった。
アナログで頑張って数年経過し50人くらい集まった頃だろうか、世の中は急激にネット化に進み出す。たまたまその頃には自分も独立して仕事がその方面だったのでホームページを制作。ホームページを持ってるクラブなんて当時はまったく無く、先駆け的存在だったと思う。今見ると恐ろしく恥ずかしいページだけど。
ネットの勢いは凄く、あっという間にメンバーも100人を越え、一つの目標を『164人』に定め積極的に勧誘を行なった。でも、それは結局間違いだった気がする。目的が数集めになった瞬間から、本来の同好の集まりという枠がどこか中途半端になり、配信側も受信側もネットにマナーやエチケットが確立されていなかった時代だからか、どこか政治的な動きが目立つようになり、仕事のストレス・家庭の苦痛に加えて趣味の世界に重荷を感じるようになった。好きな趣味のことなのに負担な気持ちになることが多かった。
限界を感じている時期でもあった。多くのメンバーから励ましの言葉をもらった。でも正直、好きなことなのに楽しめなくなっていた。大好きなクルマのことなのに、自分でも不思議なくらいに後ろ向きになった。何故と自問自答すればするほどブラックホール的に溝は深まった。もう限界を感じていた。
クラブの運営自体を、辞めるべきか続けるべきか・・。重い課題だった。自分が好きで始めたことなのに、自分の我がままで勝手に結論を出していいのか?自問する毎日だった。当時のメンバーには本当に申し訳ないと思う。船頭さんが舵を漕がなくなっては船は進まない。進まない船は船の役目をなくし単なる浮き輪でしかなくなる。浮いてるだけで誰が満足するだろう。そんな毎日だった。
しかし、やはり同好の仲間でもあり同じ意志を持った仲間でもある。「では引き継いでやって行こう」という有志が現れてくれた。嬉しことである。印籠を渡す時期でもあったし、またそうするのが最善かつ最良なことだと思った。2000年から2001年にかけてのことだったと思う。
最初に買った164は1990年の『ALFA164 3.0 V6』だった。最後にクラブのイベントを企画したのは2000年だった。今年はそれから数えて購入後20年、運営からはなれて10年、そしてAlfa Romeo 100周年の記念すべき年。たかだか10年で自分の中で消化できたわけではないのだけど、顔を出したくなって行って来た。
当然ながら雰囲気(風土?)や平均年齢は18年前とはすいぶんと変わってしまったけど、「Alfa164が好き」という絶対的で究極の目的は不変であり内部分裂で崩壊して行く自動車系クラブの多い中、チームワークで10年近く舵取りしている現執行部には感謝の念を禁じ得ない。
好きなこと(モノ)を本当に好きだと言える環境作り、そしてそれを維持して行く力。趣味ってその言葉の通り『趣を味わう』ものであり、それを忘れてはいけないと改めて実感する有意義な一日だった。
Alfa164 forever!
「Alfa164 forever!」と言いながらRZの写真ばかりで申し訳ない。皆がツーリング(タイムラリー)で出かけてる最中、今回のイベント会場の裏庭でRZの撮影をしながらノンビリ休日タイムを謳歌する。
そして帰り道、国道日本第2位の高さを誇る麦草峠(2,127km)で撮影。
IL MOSTRO(怪獣)の呼び名に相応しく、雲海の中で。今にも『大魔神』が現れて海が半分に別れそうな光景に(古過ぎ?)ビビリる。でも、そんな風景の方がES30に似合う気がする。
今は入院中だけど、今度は164も沢山写真に撮ってあげよう。
Comment
私もいろいろご迷惑おかけしました。
あれから12年もたちます・・・